竹取物語 - 9

かやうにて、御心を互に慰め給ふほどに、三年ばかりありて、春の初より、かぐや姫月のおもしろう出でたるを見て、常よりも物思ひたるさまなり。ある人の「月の顔見るは忌むこと。」ゝ制しけれども、ともすればひとまには月を見ていみじく泣き給ふ。七月(ふみづき)のもちの月にいで居て、切に物思へるけしきなり。近く使はるゝ人々、竹取の翁に告げていはく、「かぐや姫例も月をあはれがり給ひけれども、この頃となりてはたゞ事にも侍らざンめり。いみじく思し歎くことあるべし。よく見奉らせ給へ。」といふを聞きて、かぐや姫にいふやう、「なでふ心ちすれば、かく物を思ひたるさまにて月を見給ふぞ。うましき世に。」といふ。かぐや姫、「月を見れば世の中こゝろぼそくあはれに侍り。なでふ物をか歎き侍るべき。」といふ。かぐや姫のある所に至りて見れば、なほ物思へるけしきなり。これを見て、「あが佛何事を思ひ給ふぞ。思すらんこと何事ぞ。」といへば、「思ふこともなし。物なん心細く覺ゆる。」といへば、翁、「月な見給ひそ。これを見給へば物思すけしきはあるぞ。」といへば、「いかでか月を見ずにはあらん。」とて、なほ月出づれば、いで居つゝ歎き思へり。夕暗(ゆふやみ)には物思はぬ氣色なり。月の程になりぬれば、猶時々はうち歎きなきなどす。是をつかふものども、「猶物思すことあるべし。」とさゝやけど、親を始めて何事とも知らず。八月(はつき)十五日(もち)ばかりの月にいで居て、かぐや姫いといたく泣き給ふ。人めも今はつゝみ給はず泣き給ふ。これを見て、親どもゝ「何事ぞ。」と問ひさわぐ。かぐや姫なくいふ、「さきも申さんと思ひしかども、『かならず心惑はし給はんものぞ。』と思ひて、今まで過し侍りつるなり。『さのみやは。』とてうち出で侍りぬるぞ。おのが身はこの國の人にもあらず、月の都の人なり。それを昔の契なりけるによりてなん、この世界にはまうで來りける。今は歸るべきになりにければ、この月の十五日に、かのもとの國より迎に人々まうでこんず。さらずまかりぬべければ、思し歎かんが悲しきことを、この春より思ひ歎き侍るなり。」といひて、いみじく泣く。翁「こはなでふことをの給ふぞ。竹の中より見つけきこえたりしかど、菜種の大(おほき)さおはせしを、我丈たち並ぶまで養ひ奉りたる我子を、何人か迎へ聞えん。まさに許さんや。」といひて、「我こそ死なめ。」とて、泣きのゝしることいと堪へがたげなり。かぐや姫のいはく、「月の都の人にて父母(ちゝはゝ)あり。片時の間(ま)とてかの國よりまうでこしかども、かくこの國には數多の年を經ぬるになんありける。かの國の父母の事もおぼえず。こゝにはかく久しく遊び聞えてならひ奉れり。いみじからん心地もせず、悲しくのみなんある。されど己が心ならず罷りなんとする。」といひて、諸共にいみじう泣く。つかはるゝ人々も年頃ならひて、立ち別れなんことを、心ばへなどあてやかに美しかりつることを見ならひて、戀しからんことの堪へがたく、湯水も飮まれず、同じ心に歎しがりけり。この事を帝きこしめして、竹取が家に御使つかはさせ給ふ。御使に竹取いで逢ひて、泣くこと限なし。この事を歎くに、髪も白く腰も屈り目もたゞれにけり。翁今年は五十許なりけれども、「物思には片時になん老(おい)になりにける。」と見ゆ。御使仰事とて翁にいはく、「いと心苦しく物思ふなるは、誠にか。」と仰せ給ふ。竹取なく申す、「このもちになん、月の都よりかぐや姫の迎にまうでくなる。たふとく問はせ給ふ。このもちには人々たまはりて、月の都の人まうで來ば捕へさせん。」と申す。御使かへり參りて、翁のありさま申して、奏しつる事ども申すを聞し召しての給ふ、「一目見給ひし御心にだに忘れ給はぬに、明暮見馴れたるかぐや姫をやりてはいかゞ思ふべき。」かの十五日(もちのひ)司々に仰せて、勅使には少將高野(たかの)大國といふ人をさして、六衞のつかさ合せて、二千人の人を竹取が家につかはす。 家に罷りて築地の上に千人、屋の上に千人、家の人々いと多かりけるに合はせて、あける隙もなく守らす。この守る人々も弓矢を帶して居り。母屋の内には女どもを番にすゑて守らす。嫗塗籠の内にかぐや姫を抱きて居り。翁も塗籠の戸をさして戸口に居り。翁のいはく、「かばかり守る所に、天(あめ)の人にもまけんや。」といひて、屋の上に居(を)る人々に曰く、「つゆも物空にかけらばふと射殺し給へ。」守る人々のいはく、「かばかりして守る所に、蝙蝠(かはほり)一つだにあらば、まづ射殺して外にさらさんと思ひ侍る。」といふ。翁これを聞きて、たのもしがり居り。これを聞きてかぐや姫は、「鎖し籠めて守り戰ふべきしたくみをしたりとも、あの國の人をえ戰はぬなり。弓矢して射られじ。かくさしこめてありとも、かの國の人こば皆あきなんとす。相戰はんとすとも、かの國の人來なば、猛き心つかふ人よもあらじ。」翁のいふやう、「御(おん)迎へにこん人をば、長き爪して眼をつかみつぶさん。さが髪をとりてかなぐり落さん。さが尻をかき出でて、こゝらのおほやけ人に見せて耻見せん。」と腹だちをり。かぐや姫いはく、「聲高になの給ひそ。屋の上に居る人どもの聞くに、いとまさなし。いますかりつる志どもを、思ひも知らで罷りなんずることの口をしう侍りけり。『長き契のなかりければ、程なく罷りぬべきなンめり。』と思ふが悲しく侍るなり。親たちのかへりみをいさゝかだに仕う奉らで、罷らん道も安くもあるまじきに、月頃もいで居て、今年ばかりの暇を申しつれど、更に許されぬによりてなんかく思ひ歎き侍る。御心をのみ惑はして去りなんことの、悲しく堪へがたく侍るなり。かの都の人はいとけうらにて、老いもせずなん。思ふこともなく侍るなり。さる所へまからんずるもいみじくも侍らず。老い衰へ給へるさまを見奉らざらんこそ戀しからめ。」といひて泣く。翁、「胸痛きことなしたまひそ。麗しき姿したる使にもさはらじ。」とねたみをり。かゝる程に宵うちすぎて、子の時ばかりに、家のあたり晝のあかさにも過ぎて光りたり。望月のあかさを十合せたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。大空より、人雲に乘りておりきて、地(つち)より五尺ばかりあがりたる程に立ち連ねたり。これを見て、内外(うちと)なる人の心ども、物におそはるゝやうにて、相戰はん心もなかりけり。辛うじて思ひ起して、弓矢をとりたてんとすれども、手に力もなくなりて、痿(な)え屈(かゞま)りたる中(うち)に、心さかしき者、ねんじて射んとすれども、外ざまへいきければ、あれも戰はで、心地たゞしれにしれて守りあへり。立てる人どもは、裝束(さうぞく)の清らなること物にも似ず。飛車(とぶくるま)一つ具したり。羅蓋さしたり。その中に王とおぼしき人、「家に造麿まうでこ。」といふに、猛く思ひつる造麿も、物に醉ひたる心ちしてうつぶしに伏せり。いはく、「汝をさなき人、聊なる功徳を翁つくりけるによりて、汝が助にとて片時の程とて降しゝを、そこらの年頃そこらの金賜ひて、身をかへたるが如くなりにたり。かぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かく賤しきおのれが許にしばしおはしつるなり。罪のかぎりはてぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き歎く、あたはぬことなり。はや返し奉れ。」といふ。翁答へて申す、「かぐや姫を養ひ奉ること二十年あまりになりぬ。片時との給ふに怪しくなり侍りぬ。また他處(ことどころ)にかぐや姫と申す人ぞおはしますらん。」といふ。「こゝにおはするかぐや姫は、重き病をし給へばえ出でおはしますまじ。」と申せば、その返事はなくて、屋の上に飛車をよせて、「いざかぐや姫、穢き所にいかでか久しくおはせん。」といふ。立て籠めたる所の戸即たゞあきにあきぬ。格子どもゝ人はなくして開きぬ。嫗抱きて居たるかぐや姫外(と)にいでぬ。えとゞむまじければ、たゞさし仰ぎて泣きをり。 竹取心惑ひて泣き伏せる所に寄りて、かぐや姫いふ、「こゝにも心にもあらでかくまかるに、昇らんをだに見送り給へ。」といへども、「何しに悲しきに見送り奉らん。我をばいかにせよとて、棄てゝは昇り給ふぞ。具して率ておはせね。」と、泣きて伏せれば、御心惑ひぬ。「文を書きおきてまからん。戀しからんをり、とり出でて見給へ。」とて、うち泣きて書くことばは、「この國に生れぬるとならば、歎かせ奉らぬ程まで侍るべきを、侍らで過ぎ別れぬること、返す本意なくこそ覺え侍れ。脱ぎおく衣(きぬ)をかたみと見給へ。月の出でたらん夜は見おこせ給へ。見すて奉りてまかる空よりもおちぬべき心ちす。」と、かきおく。天人(あまびと)の中にもたせたる箱あり。天(あま)の羽衣入れり。又あるは不死の藥入れり。ひとりの天人いふ、「壺なる御(み)藥たてまつれ。きたなき所のもの食(きこ)しめしたれば、御心地あしからんものぞ。」とて、持てよりたれば、聊甞め給ひて、少しかたみとて、脱ぎおく衣に包まんとすれば、ある天人つゝませず、御衣(みぞ)をとり出でてきせんとす。その時にかぐや姫「しばし待て。」といひて、「衣着つる人は心ことになるなり。物一言いひおくべき事あり。」といひて文かく。天人「おそし。」と心もとながり給ふ。かぐや姫「物知らぬことなの給ひそ。」とて、いみじく靜かにおほやけに御(み)文奉り給ふ。あわてぬさまなり。「かく數多の人をたまひて留めさせ給へど、許さぬ迎まうできて、とり率て罷りぬれば、口をしく悲しきこと、宮仕つかう奉らずなりぬるも、かくわづらはしき身にて侍れば、心得ずおぼしめしつらめども、心強く承らずなりにしこと、なめげなるものに思し召し止められぬるなん、心にとまり侍りぬる。」とて、
今はとて天のはごろもきるをりぞ君をあはれとおもひいでぬる
とて、壺の藥そへて、頭中將を呼び寄せて奉らす。中將に天人とりて傳ふ。中將とりつれば、ふと天の羽衣うち着せ奉りつれば、翁をいとほし悲しと思しつる事も失せぬ。この衣着つる人は物思もなくなりにければ、車に乘りて百人許天人具して昇りぬ。その後翁・嫗、血の涙を流して惑へどかひなし。あの書きおきし文を讀みて聞かせけれど、「何せんにか命も惜しからん。誰が爲にか何事もようもなし。」とて、藥もくはず、やがておきもあがらず病みふせり。中將人々引具して歸り參りて、かぐや姫をえ戰ひ留めずなりぬる事をこまと奏す。藥の壺に御文そへて參らす。展げて御覽じて、いたく哀れがらせ給ひて、物もきこしめさず、御遊等(など)もなかりけり。大臣・上達部(かんだちめ)を召して、「何(いづれ)の山か天に近き。」ととはせ給ふに、或人奏す、「駿河の國にある山なん、この都も近く天も近く侍る。」と奏す。是をきかせ給ひて、
あふことも涙にうかぶわが身にはしなぬくすりも何にかはせむ
かの奉る不死の藥の壺に、御文具して御使に賜はす。勅使には調岩笠(つきのいはかさ)といふ人を召して、駿河の國にあンなる山の巓(いたゞき)にもて行くべきよし仰せ給ふ。峰にてすべきやう教へさせたもふ(*ママ)。御文・不死の藥の壺ならべて、火をつけてもやすべきよし仰せ給ふ。そのよし承りて、兵士(つはもの)どもあまた具して山へ登りけるよりなん、その山をふしの山とは名づけゝる。その煙いまだ雲の中へたち昇るとぞいひ傳へたる。